人生の悩み方

神と自然の交差点

投稿日:2025年5月

 自然主義は、人間が世界を理解する際に「神」と「自然」を分け、神学的説明を排除し、観察可能な自然界の法則や現象に基づいて物事を説明しようとする立場である。しかし、この立場に対して私は少し反対の考えを抱いてきた。人間の知覚や理解の枠組みを超越するものとして「神」を考えるならば、果たしてそれは自然と切り離せるものなのか——いや、むしろ本質的に不可分なのではないかと考えるのだ。

 私の立場は明確だ。神は古来より絶対的で無限の存在として人間の畏怖の対象であり、その限界は人間には理解できない。同時に、自然もまた氷河期と間氷期の循環や地球の自浄作用、宇宙の果てまで広がる構造を持ち、その影響は限界のない無限性を感じさせる。ならば、神と自然の双方が無限であるなら、これらを別個に考えるのは無理があるのではないか。

 もし神が無限であれば、その中に自然は包含される。逆に、自然が無限であれば、神は自然の中に内包される。この相互包含の論理は、両者を別物と考えること自体に無理があることを示唆する。むしろ、神と自然は同一の存在であり、自然は神が人間の感覚で把握できる形として現れているものなのではないか、と私は考える。

 ここで、スピノザの「神即自然」という思想が登場する。スピノザは、神を人格を持つ存在ではなく、生成と存在の根源である能動的な「自然創造的自然」と位置付け、そこから現れた具体的な現象を「自然被創造的自然」と呼んだ。この二元的構造は、世界の合理性と一体性を説明し、自然界で起きるすべての事象が神から生じたものだとする。私の考えは、まさにこれに近い。

 だが、ここで立ち止まる必要がある。スピノザの思想はしばしば批判される。というのも、彼の「神」は人格的な存在ではなく、意思を持たない法則のようなものであり、人の祈りや救済の対象にはなりえない。この点から、彼の立場は結局のところ自然主義とほとんど変わらないのではないかという批判がある。

 私は自然主義に対して批判的な立場から思考を始めたつもりだったが、結果的にはスピノザの「神即自然」の立場に立つことで、自然主義と似た結論に至ってしまったのではないか。この自己矛盾こそ、思索の重要な部分であると感じる。

神と自然の交差点

 結局のところ、神と自然を分けるか、統合するかという問いは、哲学的には非常に微妙である。どちらを採用するにしても、神の無限性と自然の無限性をどう扱うか、そして人間の祈りや救済に、どのような意味を見出すかが問われる。私は現時点で、神と自然を切り分けない立場に立ちたい。自然の中に現れるすべての事象が神の現れであり、私たちが見ている世界は神そのものの一面なのだ。

 私たちは、神と自然の交差点に立っている。神を自然から引き離すことも、自然を神から切り離すこともできない。むしろ、世界を全体として見つめ、そこに宿る無限性に目を向けることで、私たちは人間としての在り方を問い直すことができるのではないか。

専門用語

  • 自然主義

    自然界の事象を神や超自然的存在を用いず、自然法則や科学的説明で理解しようとする立場。

    神即自然

    スピノザが提唱した概念で、神と自然を同一視し、人格を持つ神ではなく世界の根源的存在としての神を主張。

    自然創造的自然

    生成・存在の根源である能動的自然、すなわち神。

    自然被創造的自然

    生成された結果としての具体的な自然現象、私たちが目にする世界。

参考リンク