人生の悩み方

哲学とは

哲学は人間の行動や文化など、あらゆる分野に深く影響を与えてきた学問です。
「なぜそうなのか?」「本当にそうなのか」という根源的な問を深く掘り下げていく姿勢が本質であり、これらの考え方があります。

哲学は難しいというイメージがありますが、これは抽象度が高く認識しずらいからだと考えています、だからこそ哲学は人生のどの状況においても応用が可能な万能薬であるといえます。

哲学の沿革

紀元前6世紀~

自然主義

 自然主義は、古代ギリシアの自然哲学の流れを起源としながら、中世キリスト教的世界観への反動として近代以降に大きく展開し、宗教的な超越論ではなく、自然界の法則と科学的知見によって人間や社会、倫理を理解しようとする理性中心の世界観を背景に成立した。

紀元前5世紀~

ソフィスト主義

 ソフィスト主義は、古代アテナイの民主制の成立によって、市民が弁論を通じて政治に参加する必要性が高まった社会的要請の中で、若者に実践的教養を授ける教育者としての役割を担う形で誕生した。
 絶対的真理よりも弁論の巧拙が重要視された時代の空気が、彼らの思想と方法を育て上げた。

紀元前4世紀~

イデア論

 ソフィスト主義は、古代アテナイの民主制の成立によって、市民が弁論を通じて政治に参加する必要性が高まった社会的要請の中で、若者に実践的教養を授ける教育者としての役割を担う形で誕生した。
 絶対的真理よりも弁論の巧拙が重要視された時代の空気が、彼らの思想と方法を育て上げた。

アリストテレス主義

 アリストテレス主義は、プラトンのイデア論に代表される理想主義に対して、現実世界そのものの観察と分析を重視する必要性から誕生した。
 彼はソクラテス、プラトンの流れを汲みながらも、自身の自然観・倫理観を体系化し、アテナイのリュケイオンで学問を総合的に教えた。
 急激な政治変動や民主制の失敗、自然や生命の観察を通じて、「現実に根差した理性の探求」が哲学の本流となるべきだとした

紀元前3世紀~

ストア主義

 ストア主義は、アレクサンドロス大王の死後、都市国家(ポリス)の政治的自立が崩壊し、個人が不安と混乱の中で生きることを強いられた時代に生まれた。
 市民としての役割があいまいになる中で、「外的状況に左右されず、内なる理性に追って幸福を得る」新しい倫理観が求められた。
 その中でゼノンがアテナイのストア(柱廊)で教えを説き、理性による魂の自由と倫理的自立が思想の中心となっていた。

エピクロス主義

 アレクサンドロス大王の死後、世界は広域的な秩序と不安が交錯するヘレニズム時代へと突入し、個人がポリスという行動隊に依存できなくなった。
 このような時代背景の中で、エピクロスは社会や宗教、死への恐怖から解放され、個人が安心して生きるために新しい幸福論を提示した。
 理性と観察に基づく自然観と、日常生活の中で実践可能な倫理を通じて、自己完結的な幸福の追求が求められた。

4世紀~

新プラトン主義

 ローマ帝国末期の宗教的混乱と、古典哲学の衰退の中で、人間の精神的救済や宇宙の統一的理解を求める傾向が高まった。
 このような時代にあって、プロティノスはプラトンのイデア論を出発点に、より内的・宗教的な体系を築いた。
 神秘性と論理性を融合し、哲学を通じて魂の救済を果たそうとする思想は、異教・ユダヤ・キリスト教世界すべてに深く根を下ろすこととなった。

5世紀~

キリスト教哲学

 ヘレニズム文化とユダヤ教信仰が交錯するパレスチナで、イエス・キリストの教えを受けた使徒たちにより始まったキリスト教は、ローマ帝国内で迫害を受けつつも広まり、やがて国家宗教となった。
 異教哲学の中で信仰を守り発展させる必要性から、プラトン主義やアリストテレス哲学と対話しつつ独自の神学体系が形成され、信仰と理性の統合を図る哲学的思索が生まれた。

16世紀~

人文主義

 中世のスコラ学や神学的価値観に疑問を抱いた知識人たちは、ギリシャ・ローマの古典に人間の本質や美徳の源泉を見出し、それを再発見・再構築することで現代社会を変革しようとした。
 商業・都市文化の発展、印刷技術の進展、教会権威の相対化なども相まって、人間の理性や表現力に価値を見出す「人文主義」は、ルネサンスとともに大きく開花した。

17世紀~

合理主義

 中世のスコラ哲学における権威主義的な知識体系や、経験に依存する不確かな知識への不満から、より確実で普遍的な知識の基礎を求める動きが強まった。
 また、科学革命によって数理的な世界認識が注目される中、「理性」こそが心理に到達する手段であるとする合理主義が台頭した。
 宗教的権威から自立する知的運動としても位置づけられる。

経験主義

 中世のスコラ哲学や知識体系に対する反発が強まる中、ルネサンスと宗教改革を経たイギリスでは、「実験と観察」に基づく自然哲学が勃興した。
 特に科学革命によって実証的な知識の価値が高まり、経験主義は知識の信頼性を担保する方法として支持を得た。
 また、市民社会の成熟とともに、個人の経験に基づく合理的判断が重要視される時代精神があった。

18世紀~

啓蒙主義

 宗教戦争や絶対王政の抑圧により、理性や自由への希求が高まった時代に、ニュートンの科学的発見やロックの政治思想が知的基盤を提供した。
 加えて、市民階級(ブルジョワジー)の台頭により、自由と権利を求める声が強まり、封建的・教会的秩序に対する批判が高揚した。
 その中で、人間の理性を信じ、知識と教育によって社会を改善しようとする運動が「啓蒙主義」として結実した。

19世紀~

観念主義

 古代ギリシアでは、プラトンが現象世界の背後に理想的な「イデア」の存在を説いたことで、観念主義の原型が誕生した。
 その後、近代に入り、経験主義と合理主義の対立の中で、カントが人間の認識能力を問う「批判哲学」によって新たな観念主義を構築
 これがフィヒテフィヒテ、シェリング、ヘーゲルらに受け継がれ、特にドイツではフランス革命後の理想主義的な社会債権の機運と相まって「ドイツ観念論」として体系化された。
 精神や理性こそが世界を動かすという思想が、科学の進展や物質主義に対する哲学的アンチテーゼとなった。

実証主義

 産業革命に夜社会の急速な変化と混乱、フランス革命後の政治的不安定、そして宗教的・形而上学的な説明の懐疑が広まる中で、コントは社会を安定させるためには「科学的秩序」が必要であると考えた。
 彼は自然科学の方法を社会の理解にも適用し、感覚的に確かめられる事実のみを重視する思想を体系化。「進歩と秩序」を両立させる手段として、宗教の代わりに科学と倫理を統合した実証主義を提唱した。

功利主義

 啓蒙時代の理性重視の流れと、産業革命による社会の大変動の中で、合理的かつ普遍的な倫理の指針が求められていた。
 宗教的道徳から脱却し、立法や政治判断における「幸福」という経験可能な基準を導入する試みとして、ベンさんが快楽計算による倫理判断を提唱。
 それを発展させたミルは、自由や教育、人格的成長といった質的価値を取り入れ、自由主義的な社会倫理の中核となる思想体系を築いた。

唯物史観

 産業革命以降の急激な資本主義の発展と、それに伴う労働者階級の窮状の中で、マルクスとエンゲルスは従来の観念論的な歴史観に限界を感じた。
 ヘーゲル哲学の弁証法的枠組みに唯物論を融合させることで、歴史を経済構造の変化と階級闘争によって説明する新たな視座を確立。
 ブルジョワ階級による支配の構造を批判し、プロレタリア革命による社会変革を理論的に正当化するために骨格として、唯物史観が体系化された。

20世紀前半

実存主義

 19世紀後半から20世紀にかけて、合理主義・科学主義の限界が露呈し、人間存在に対する深い不安が哲学的焦点となった。
 特に第一次世界大戦、第二次世界大戦という未曽有の人間破壊を目の当たりにした知識人たちは、従来の体系的・神中心の世界観ではもはや人間の苦悩を救えないと感じた。
 キルケゴールは宗教的苦悩の中で「主体的真理」に目覚め、ハイデガーは存在論的問いへ、サルトルは自由と責任を掲げて実存の哲学を確立した。
 このように実存主義は、人間が直面する孤独・死・自由・無意味性と向き合い、なおも生きる意味を模索する哲学として誕生した。

分析哲学

 19世紀末、従来の哲学は抽象的であいまいな言説に満ち、科学との乖離が進んでいた。
 その中でフレーゲやラッセルらは、数学の基礎を論理的に明らかにする中で、哲学にも同様の厳密さが必要であると考えた。
 第一次世界大戦後、ウィーン学団の論理実証主義者たちがそれを推進し、戦後はアメリカ・イギリスにおいて主流となった。
 またウィトゲンシュタインは初期と言語の限界、後期では言語の使用・慣習に注目し、哲学の役割を根本から見直した。
 このように、分析哲学は近代以降の曖昧な哲学的思弁に代わる「明晰な哲学」を求めて発展した。

現象学

 19世紀末、自然科学や実証主義が急速に台頭し、哲学はそれに対抗する形で「意識」や「主観的経験」の軽視を批判した。
 デカルト以来の「主体」の再検討が求められ、フッサールは数学的厳密さを背景に、すべての前提を一度棚上げし、「意識に現れるものそのもの」を精密に記述する方法論として現象学と提唱した。
 科学や宗教的協議に先立つ「経験の在り方」への根本的な問いが、この運動を支えた。

構造主義

 20世紀初頭、ソシュールによる構造言語学の登場が理論的出発点となった。
 やがて第二次世界大戦後、実証主義的な人文科学に限界が見え始めた中で、レヴィ=ストロースは文化や神話を「言語的構造」として分析し、その背後にある普遍的な人間思考のパターンを明らかにしようとした。
 個人や出来事に注目する従来のアプローチとは異なり、「関係性と体系性」に注目したことで、現代思想に大きなパラダイムシフトをもたらした。

20世紀後半

ポスト構造主義

 構造主義が文化や人間行動の背後にある普遍的な構造を見出そうとしたのに対し、ポスト構造主義はその「普遍性」や「客観性」に疑問を投げかけた。
 1968年のフランス五月革命を契機に、国家・権威・学問体系への懐疑が高まり、理性中心主義、人間中心主義をさせていた思想そのものが批判対象となる。
 これを受けてデリダやフーコーらが、構造主義に変わり批判的視座としてポスト構造主義を打ち立てた。
 彼らは言語・知識・権力の不確かさや流動性を強調し、あらゆる固定的な概念からの自由を追求した。

ポストモダニズム

 第二次世界大戦後、ホロコーストや核兵器などにより「理性」と「科学」に対する信頼が大きく損なわれた。
 また、経済的・情報的グローバリズムが進む中で、文化や価値観の一元化が困難になった。
 1968年の学生運動などを契機に権威主義的体制への反発が高まり、個人主義・相対主義が台頭。
 さらに、マスメディアの発展により、現実と虚構の教会が曖昧になっていく。
 これらが重なり、ポストモダンズムは近代的価値の「超克」ではなく、「放棄」を選び、断片化・脱中心化された世界の姿を肯定する思想として登場した。

環境倫理

 1960年代~70年代にかけて、急速な工業化と経済成長に伴う大気汚染・水質汚染・森林伐採・生物多様性の喪失などが深刻化し、環境破壊が全人類的な課題として認識され始めた。
 また、アポロ計画によって地球の全体像が写真で可視化され、人類が地球環境の一部であるという意識が強まった。
 これを受けて、自然保護運動や動物の権利運動と連動する形で、人間の倫理が環境全体にどう向き合うべきかを問う哲学が求められようになった。

動物倫理

 第二次世界大戦後の人権思想の発展と並行した、1960~70年代には公民権運動、フェミニズム、環境保護運動などの社会運動が盛んになり、倫理の対象を拡張する潮流が強まった。
 この中で「人間以外の動物」にも倫理的配慮が必要ではないかという問題意識が浮上。
 1975年にピーター・シンガーが『動物の解放』を発表し、動物への搾取が道徳的に正当化されないことを強く訴えたことで、動物倫理は一つの哲学的分野が確立された。

21世紀初頭

テクノ倫理

 20世紀後半から急速に進展した科学技術は、社会構造や倫理観に重大な影響を与えるようになった。
 原子力、遺伝子工学、情報通信技術、人工知能などの登場により、「技術の進歩=善」という単純な発想が疑問視され始めた。
 また、インターネットやスマートデバイスによって人間のプライバシー、自由意志、自己認識までもが変容しつつある現代において、「倫理は技術とともに再構築されるべきだ」との必要性からテクノ倫理が注目されるに至った。

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