人生の悩み方

「知のドーナツ化現象」──現代の若者が抱える知性の空洞とその正体

投稿日:2025年5月

 インターネットとSNSの普及は、現代人の生活様式や思考様式に革命をもたらした。しかし、その影響は単なる利便性やコミュニケーションの効率化にとどまらず、私たちの「知」の在り方そのものを変容させているのではないか。この記事では、私が提唱する「知のドーナツ化現象」、そしてそれに関連する「外側の知」「内側の知」という概念を用いて、現代の若者の知性の特徴と課題を読み解いていく。

 私が提唱する「知のドーナツ化現象」とは、個人の知的リソースが内側(自己の深い理解や本質的な知)ではなく、外側(他者への発信や周囲との関係性に関わる知)に偏っていく現象である。

 人は社会的な存在であり、他者を信用し、期待し、慕う本能を持っている。これがなければ、そもそも社会という共同体を築き上げることができない。人はこの共同体の中で、本音(内側の個性)と建前(外側の個性)という二つの顔を状況に応じて使い分けている。

 本音とは、自己の中で生成される純粋な個性の発露であり、そもそも共有を前提としていない。一方、建前は、現実世界の相互作用の中で周囲と共有されることを前提とした応対的な側面だ。現代社会では、特にSNSのようなツールを通じ、この建前=外側の個性が圧倒的に強調される。

 かつての人間関係は、目の前の人との対話が中心だった。しかし今や、誰もがインターネットを介して多人数・多様な価値観に晒される。結果として、外側の知=他者に向けた知の重要性が増し、内側の知=自分自身のための深い知の育成が疎かになる。この外側にばかり肥大する知の偏りこそ、私が「知のドーナツ化現象」と呼ぶ所以である。

 例えば、SNSで大量のフォロワーを持つインフルエンサーを想像してほしい。彼らの影響力は、外側の知の集積に支えられている。トレンドを敏感に察知し、魅力的な発信を繰り返し、他者とのコミュニティ形成に成功している。しかし、その一方で、彼ら自身の内側に蓄積された知、つまり他者に依存しない思索や自分だけの価値体系はどれほど成熟しているだろうか。外側の知が光れば光るほど、内側の知の空洞は目立たなくなるが、確実に存在しているのだ。

 もちろん、この見方には反論も考えられる。SNSを通じた多様な価値観との接触が、むしろ個人の内面的な成熟を促すこともあるだろう。他者との関わりの中で、自分自身の立場を問い直し、考えを深める機会は確かに存在する。また、外側の知と内側の知は完全に分断されたものではなく、相互に影響し合う。

 では、問題は何か。それは、外側の知が成長するスピードとボリュームに比べ、内側の知の育成は意識しなければ進まない点にある。内省や熟考は他者から評価されにくく、可視化されないため、つい後回しになりがちだ。つまり、現代社会では「内側の知を育てることが軽視されやすい」という構造的な傾向があるのだ。この考えは私が以前に投稿した記事である【「その人は本当に評価されているのか?」社会とルールに埋もれた”個性”の考察】で解説している。

 「知のドーナツ化現象」は、現代の若者に限らず、SNS世代全般が直面する課題である。他者に見せるための外側の知ばかりが肥大化し、内側の知を育む機会が失われていく。この現象を打破するためには、意識的に自己との対話の時間を確保し、他者に依存しない知を積み上げていく必要がある。私自身がこの哲学系の情報サイトを開設したのも、まさに「内側の知」の重要性を訴えたかったからにほかならない。

「知のドーナツ化現象」──現代の若者が抱える知性の空洞とその正体

 この記事は、「知のドーナツ化現象」という造語を軸に、現代社会の知的偏重の問題を整理したものだ。「外側の知」は他者との共有や評価に関わる知識・情報であり、「内側の知」は自分自身のための深い理解や内省を指す。記事全体を通じて、マスターの主張は強めの肯定的視点で展開されているが、自己懐疑の部分ではあえて反論や多角的視点を取り入れ、論の立体感を出している。

 これらの概念は以前投稿した【インフルエンサーの正体――現代社会に潜む「知のドーナツ化現象」】の考察で考案したものであるため、良ければこちらもご拝読いただけると幸いである。

専門用語

  • 知のドーナツ化現象(本サイト独自の概念)

    自身を構成する情報のうち、外側が発達し、内側が空洞化している状態

    外側の知(本サイト独自の概念)

    自身が持つ情報のうち、他者に伝えられるもの

    内側の知(本サイト独自の概念)

    自身が持つ情報のうち、他者に伝えられないもの

    説得技法

    論の展開で読み手を引き込むための具体例や比喩、問いかけなど

参考リンク